FXライフ 4 ドルの歴史と世界のドル USドルの歴史

USドルの歴史はアメリカの歴史と重なる。1971年8月15日まで、ドルの価値は金によって保証されていた。1944年、アメリカのニューハンプシャー州のブレトン・ウッズで国際通貨基金協定などが結ばれ、その中で、IMF(国際通貨基金)が発足した。金だけを国際通貨とする金本位制を採用せず、ドルを基軸通貨として、金と並ぶ国際通貨とする制度をつくったのである。しかし、1971年8月15日その日以降、世界の為替のしくみは一変した。


日本が高度経済成長を続けた1960年代後半、アメリカは国際収支の赤字で悩んでいた。その対応として1971年8月15日、当時のニクソン大統領が突如、ドルと金との交換停止を含む新経済対策を発表。これによって戦後長く続いたIMF体制は崩壊、ここにブレトン・ウッズ体制は終了した。この大統領声明は「ニクソン・ショック」と呼ばれ、世界に大きな影響を与えた。ドルは急激に下落し、その対応策として、主要国会議で全面的な為替レートの修正(スミソニアン体制)が行われ、日本では1ドル=360円時代が終了し、1ドル=308円となった。しかしドルの下落はおさまらず、まずイギリスが固定レートを放棄し、変動相場制へ移行。他国もこれにならい、日本も1973年2月に変動相場制へと移行した。


「ニクソン・ショック」の背後には、第二次世界大戦の敗戦国であった日本とドイツの経済成長の影響がある。アメリカの経済力は相対的に低下し、当時景気過熱で経常収支が悪化していたため、やがて固定レートを変更し、ドルを切り下げるであろうと予測された。このため経常黒字国であった日本の円やドイツのマルクに対して1969年頃から投機が殺到するようになる。固定相場制度においては中央銀行が無限の為替を保証するため、日本銀行やブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)はドルを買い支えることになった。つまり市中に円やマルクが放出されるということになる。マネーサプライが増えるため金利は抑制され、日本やドイツの経済も過熱気味になる。


ドイツは、戦前にハイパーインフレーションで経済を疲弊させた記憶があるため、ブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)はインフレーションを未然に防ごうとしたのである。また、日本も高度経済成長末期において巨大プロジェクトが目白押しであったため、アメリカの過剰輸入・資本輸出によるインフレーションは厄介であった。このため、元凶であるアメリカの過剰財政支出への非難が強まったのである。ニクソンは、そういった経済成長国の流れを鑑みて、ドルと金との交換停止を含む新経済対策を決断したのである。


さて、ドルと名のつく通貨の中で、なじみの深いものにオーストラリア・ドル(AUD)がある。日本では、豪ドル、オージードルなどと呼ばれている。発行はオーストラリアの中央銀行であるオーストラリア準備銀行(RBA)。同行が為替管理を放棄し、変動相場制に移行したのは、80年代である。


オーストラリアの最大の輸出国は、1位:日本(19.8%)、2位:中国(12.5%)、3位:韓国(7.5%)という順位になっている。つまり、貿易は主にアジアの主要国と行っているのである。それだけに2000年までの豪ドルは、輸出、観光で関係の深いアジア諸国が金融危機に陥った際にアジア通貨につられて急落。世界経済がITブームに沸く中で、豪ドルは「オールドエコノミー通貨」として敬遠された。


しかし2001年に入り所得税減税、住宅取得者への補助金支給やRBAによる金融緩和が住宅投資と個人消費を促進。成長路線に回帰し、公定歩合が高さ、経済成長・金利差に着目した米系ヘッジファンドなどが、円やドルで資金調達し、豪ドル買いをするキャリートレードが進行。アジア、中東などの投資家も資金の一部を振り向けるなど、徐々に豪ドル投資の裾野が拡大してきたのである。


By Master K/益田 慶