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ヨーロッパの財閥と企業グループ 4 ロスチャイルド家の興亡 リスクヘッジ

ロスチャイルド家の初代マイヤーは、本能的に「リスクヘッジ」を体得していた人物でした。当時は「リスクヘッジ」という概念もなければ、まだ近代経済学が確立されていない時代です。投資の損得を見極める彼の嗅覚は、学問によって得たものでなく、生きていくうえで身につけたセンスでしょう。


ロスチャイルド商会が金融業によって蓄えた多額の自己資金は、戦乱のヨーロッパ各国の軍資金として運用されていきます。注目すべき点は、この軍資金が敵国や味方の国という区別によって提供されなかったことです。わかりやすくいえば、儲かるところに投資されたのです。「利益を得ることができるなら、どの国が勝ってもよい」という考え方は、ヨーロッパ各国に散らばっていく5人の息子たちにも受け継がれていきます。いや、そもそも欧州に解き放たれた「5本の矢」自体が、ロスチャイルド家の「リスクヘッジ」を実践していたのです。


長男アムシェルは、父親が立ち上げたドイツ本店を継ぎました。1804年、三男ネイサンが27歳にしてイギリス・ロスチャイルド商会を創設。続いて1817年、 五男ジェームズがフランス・ロスチャイルド商会設立。1820年、次男サロモンがオーストリア・ ロスチャイルド商会設立。1821年、四男カールがイタリア・ロスチャイルド商会設立。それぞれが独立した会社としてスタートしました。
現在なら「支店の創業」ということになりますが、1800年代にすでに各国に支店を開き、金融ネットワークを築こうとした先見性は驚くべきことです。


当時のイギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリアなど列強諸国は緊張した関係が続いていました。当時はナポレオン・ボナパルトの全盛期です。ロンドンにロスチャイルド商会が誕生した1804年は、ナポレオンが皇帝となった年です。2年後には、ドイツ・ベルリンがナポレオンに征服されました。各国のロスチャイルド商会は独立しているので、投資先は異なっていても不自然ではありません。会社を構える国も経営者も異なるのだから、ナポレオン派と反ナポレオン派の双方に投資していても世間から見れば矛盾はありません。


ロスチャイルド家からすれば、どの国の君主がヨーロッパを支配するか、あるいは没落するか、いくつかの可能性を含んだ下克上の時代なのだから投資リスクは大きいはず。だからこそ独立した5人兄弟のネットワークは保険制度のようなものだったのでしょう。敵味方の両国に投資しておけば、必ずどちらかが勝者となり、戦後の権益が得られるのです。勝つか負けるか、50%の確率。ひとつに集中して賭けると、ゼロになるどころかマイナスになる可能性があるのであれば、両方に賭けてリスクを分散させる。これは昨今注目を浴びている学問「ゲーム理論」を実践しているかのようなやり方です。

さて、フランスの実権を握った風雲児ナポレオンは、ドイツに攻め込んできます。初代マイヤーの金融パートナーで、ロスチャイルド家が飛躍するきっかけとなった領主ヴィルヘルム9世は、王妃の実家であるデンマークに逃げ出しました。その財産を安全に貯蓄しておく任務を受けたのがマイヤーでした。マイヤーが信用できるパートナーであったことはもちろんのこと、戦乱にあっては大手銀行に財産を管理させるのはかえって危険だ、とヴィルヘルム9世は考えたのでしょう。


マイヤーは、ロンドンのネイサンに資産管理を託します。ナポレオンはヴィルヘルム9世のすべての資産を没収すべく、フランクフルトのロスチャイルド商会を捜索しましたが、帳簿を見てもヴィルヘルム9世との取引は記されていませんでした。マイヤーは二重帳簿をつけていたとされています。


ロスチャイルド商会が隠すように頼まれた現金60万ポンドは、ワイン樽に入れて秘密の場所に保管されていたという逸話が残っています。また、ヴィルヘルム9世が行っていた欧州の貴族への貸付金の回収もロスチャイルド商会が担い、各国にいる息子たちが回収し、ナポレオンの目を盗んでヴィルヘルム9世に届けられました。


By Master K/益田 慶