ヨーロッパの財閥と企業グループ 15 ロスチャイルド家の興亡 帝国主義者
欧州財閥を代表する伝統的な財閥ロスチャイルドは、現代的なボーダレス財閥の先駆者です。ヨーロッパを中心に超国家的なビジネスを展開してきたそんなロスチャイルド財閥にとって、20世紀に勃発した二つの世界大戦は、大きなブレーキになりました。
ヨーロッパ列強と歩調を揃えて進出したロスチャイルドには「帝国主義者」という非難がつきまといました。ロスチャイルド家にはおそらく「国のため」という意識は希少で、むしろ反帝国主義と位置づけるべきなのでしょうが、南アフリカの植民地化を後押ししたロンドン・ロスチャイルド家は、結果としてイギリスの帝国主義的行動を支援したし、パリのロスチャイルド家も石油事業を中心に植民地で関連事業を展開して成長しました。
こうした「儲かることなら何でもする」という姿勢が、当時の帝国主義と結びついて映ったのでしょう。また、国家に匹敵する財産を築いたことに対する庶民の嫉妬もあったのでしょう。やがて帝国主義国家に資金を提供して背後で操り、世界征服を狙う「ユダヤ資本の陰謀説」が世界中を飛び交うことになります。ターゲットはもちろん、ユダヤ資本のドン、ロスチャイルド財閥でした。これが現代に至るまで、まことしやかに語り継がれる「ユダヤ陰謀説」のひとつです。
第一次世界大戦が終わったとき、ロスチャイルド財閥は大きな打撃を受けます。大戦中に税制度が変わり、遺産に莫大な相続税がかかるようになったのです。ロスチャイルド銀行は株式組織でなく、個人のパートナーが私有する形態であったために、ダイレクトに税金攻勢をかぶったのです。
これまでは資本家や国王たちが政治を支配していたために、相続税などの税金は悪しき政策として可決されてきました。しかし、ロシア革命で勢いを得た共産主義体制と、ドイツやオーストリアに顕著に表われたファシズム台頭の時代に突入し、政治の様子は一変しました。国内向けには恐怖政治が国家をコントロールしたり、民族主義や軍国主義が結束したファシズムが国を掌握したりする方向に傾きました。
当時のロスチャイルド家は、投資した事業を守ることで精一杯であったようです。1929年にアメリカで発生した株の暴落が大恐慌をもたらし、ロスチャイルド財閥も打撃を受けます。これに拍車をかけるように、1930年代からヒトラーの「ユダヤ人迫害」が始まります。反ユダヤ主義の高まりはドイツ、オーストリア、イタリアなどの国を中心に勢いを増していきます。
ナチズムの標的にされたのは、国際ユダヤ金融資本のトップに立つロスチャイルド財閥でした。先週紹介したロスチャイルド家が所有する、フランス・ボルドーの「ラフィット」と「ムートン」のブドウ園は、ドイツ、イタリアに休戦協定を申し入れたフランス・ヴィシー政権に差し押さえられたのです。ナチスのユダヤ政策に従ったものでした。「ムートン」オーナーのフィリップはモロッコでヴィシー政権の関係者に逮捕され、ブドウ園は一時的にドイツ軍の駐屯地として利用されました。ロスチャイルドファミリーの中には、ユダヤ人の強制収容所に連行された家族もいます。
ドイツ・フランクフルトのロスチャイルド本家は後継の息子がいなかったことから20世紀初めに消滅しています。ヒトラーの「ユダヤ人絶滅作戦」の犠牲になったのは、ウィーン分家の5代目当主、ルイ・ナサニエル・ロスチャイルドでした。ルイはナチスによって拘束され、ゲシュタポ(秘密警察)刑務所の独房にぶちこまれます。ゲシュタポはロンドンとパリのロスチャイルド一族に、オーストリア・ロスチャイルド家の土地や資産を譲渡するよう迫ります。幸い土地や炭鉱、工場などの所有権は保険会社のものに切り替えていたので、没収されることはありませんでした。1年後に保釈されたルイはアメリカに亡命し、家業を再開することはありませんでした。こうしてウィーンのロスチャイルド家は途絶えます。第二次世界大戦が終結した際、ロスチャイルド家はパリとロンドンだけになっていました。
By Master K/益田 慶