ヨーロッパの財閥と企業グループ 13 ロスチャイルド家の興亡 日露戦争
戦争といえば、日露戦争(1904~1905年)で日本政府に間接的に金融支援をしたのがロスチャイルド財閥であったことは有名な話です。近代化に出遅れた日本政府の心配は、性能に劣る武器と軍事費の不足でした。戦争を遂行するためには、1億5000万円の外貨支払いが必要とされるのに、国庫には5200万円しかなかったとされています。当時の「円」はまだ国際通貨として認められていなかったので、海外から武器を調達する際にも大きな支障をきたしていました。当時の日本政府が取った方法が、戦時公債を発行して、不足分の約1億円をまかなおうというものでした。
日露戦争における戦費をまかなうために発行された戦時公債。その公募のために英米に派遣されたのが、当時日銀副総裁でのちに内閣総理大臣となる高橋是清でした。彼は徳川慶喜が朝廷に政権を返上した「大政奉還」(1867年)の年に、勝海舟の息子と一緒にアメリカとイギリスへ留学しているので、英語は堪能でした。
最初に向かったニューヨークの金融業界は、日本の戦争公債にまったく無関心でした。ナポレオン皇帝率いるフランス軍を破ったロシアの軍事力は世界最強と見られていたことも大きく影響しているでしょう。「世界の強国ロシアに小さな島国が勝てるわけがない」というのが世界各国の一般的な認識だったのです。
高橋はすぐにイギリスへ渡り、シティの金融業者にあたり、500万ポンド(約5000万円)の調達にこぎつけた。イギリスの金融業界が日本政府を支援した背景には、イギリスの植民地政策が深くかかわっていました。ロシアの南下政策が南アジアに権益を持つ自国に被害を及ぼすと危機感を募らせていたイギリスが、同盟先として日本を選んだのです。
「日英同盟」は大いに機能し、当時世界最強と謳われた、かのバルチック艦隊のスエズ運河の通過をイギリス政府が拒否したことで、無敵艦隊はアフリカ最南端のケープタウンまで迂回する航路を取らざるを得なかったのです。
高橋は当然のことながら、シティ金融業界のボスであるロスチャイルド親子銀行へも出向きます。実はロンドン・ロスチャイルド家のチャールズ・ロスチャイルドは日露戦争の前年1903年に来日し、明治の日本経済の発展に興味を抱いて帰国したのでした。ロスチャイルド家は正面切って反ロシア的な態度を取ることはできないまでも、ロシアのユダヤ人弾圧には激しい怒りを抱いていました。そこで直接、日本の公債を引き受けるのでなく、代理人を立てたのです。
ロスチャイルド家の口利きで登場したのが、ニューヨークで「クーン・ケーブ商会」を経営するユダヤ人資本家ジェイコブ・シフでした。シフが残り500万ポンドを用立てることになったのです。シフはアメリカ・ユダヤ人協会会長職にある人物でした。「日本に勝ってほしい」というより「ユダヤ人を弾圧するロシアをこらしめてやりたい」という気持ちのほうが強かったのかもしれません。
こうして日本の公債1000万ポンドはイギリスとアメリカで発行されることになったのです。ロスチャイルド銀行は発行銀行にはならず、下請けに入って手数料を手に入れます。戦費の調達のメドがついた日本政府は、戦争の長期化を予想し、その後もポンド建ての外債を発行しました。第3回と第4回目の外債発行には、ロンドンとパリのロスチャイルド家が発行団に名を連ねました。調達総額は約8億2000万円。その資金で武器、弾薬、戦艦を購入し、ロシアとの戦いを勝ち抜いたのです。
こうして日本は朝鮮半島と満州(中国東北部)の権益を得ることになります。一方のロシアは敗北をきっかけに極東での南下政策を断念し、進出の矛先を再びバルカン半島に定めます。これがドイツやオーストリアとの対立を招き、イギリスは仮想敵国をロシアからドイツに切り替えます。ドイツはそんなイギリスに敵対意識を抱き、世界情勢は「イギリス・フランス・ロシア」の三国協商と「ドイツ・オーストリア・イタリア」の三国同盟の対立へと向かうのです。
By Master K/益田 慶