ヨーロッパの財閥と企業グループ 10 ロスチャイルド家の興亡 セシル・ローズ
ロスチャイルド家は、政略結婚によってヨーロッパ最高貴族の仲間入りも果たします。また政界にも深く入り込んでいきます。金融王ネイサン・ロスチャイルドの孫娘ハンナ・ロスチャイルドの夫ローズベリー伯爵は、イギリス首相として政界に君臨しました。やがてロスチャイルド家がイングランド銀行理事に任命され、サッチャー首相、メージャー首相の政策をも動かすことになるのです。
金、ダイヤ、ウランの産出国、南アフリカを長年支配したのもイギリスでした。ロスチャイルド家は、植民地獲得の費用をひねり出すために国債発行に協力し、時には事業に投資する形で獲得した植民地に乗り出していきます。前号で少しふれたインド貿易がその一例ですが、今回はロスチャイルド家が世界のダイヤモンドと金の相場を動かすまでに至る布石を紹介しましょう。
その舞台は南アフリカです。1866年、南アフリカで一農夫が“光る石”を発見します。のちにこれは「アフリカの星」と呼ばれるダイヤにカットされます。相次いで金鉱も発見されると、南アフリカはゴールドラッシュに沸きました。
前号でスエズ運河株の買収を手がけた、ディズレリー英国首相、その後継者であるグラッドストーン首相はイングランド銀行と組んで南アフリカの植民地政策を進めます。ロンドン・ロスチャイルド家は、ゴールドラッシュの当初、代理業者「アングロ・アフリカン・ダイヤモンド鉱山会社」に投資していました。ダイヤモンドの良質な原石を産出するキンバリー鉱山一帯で大きな影響力を持っていたのは、セシル・ローズが経営する「デ・ビアス」です。日本でも著名なこの企業が、のちに世界のダイヤモンド供給の80%を支配することになります。
セシル・ローズはロンドンのロスチャイルド銀行を訪れ、融資を依頼します。ロンドン・ロスチャイルド家のナサニエル(金融王ネイサンの三男)は100万ポンドの融資を約束し、セシル・ローズはアングロ・アフリカン・ダイヤモンド鉱山会社を吸収し、品質、量とも世界最大の南アフリカのダイヤモンド鉱山は、デ・ビアスという一社に独占されることになります。もちろん、ロスチャイルド家は「金も出すが、口も出す」ファミリー。もともとダイヤの加工に関しては、ユダヤ人が得意とする仕事です。ロスチャイルド家は、デ・ビアス社のダイヤモンドを売るヨーロッパの販売網を整備し、やがて世界のダイヤモンド・シンジケートを築いていきます。
1889年、セシル・ローズは英本国政府の特許を得て、採掘のための会社「英国南アフリカ会社」を設立します。1890年には、ケープ植民地の首相に就任。さらに英国本国政府の監督下という条件で軍隊も持つようになります。イギリス・ヴィクトリア女王と首相ディズレリの大英帝国領土拡大政策をロスチャイルド家が支援し、セシル・ローズという怪物を誕生させたということでしょうか。
そしてもうひとつロスチャイルド家が世界の「金(ゴールド)」をコントロールするに至る経緯も南アフリカにありました。セシル・ローズが他界した年に、アーネスト・オッペンハイマーなる人物が登場し、これまたロスチャイルド家の支援を受け、南アフリカに金、ダイヤモンド、クロムなどの採掘・生産を行う「アングロ・アメリカン」を設立します。南アフリカは、世界の金の産出国でもあったのです。オッペンハイマー財閥はここからスタートしました。
オッペンハイマーはやがてデ・ビアス社の社長に就任し、金と銀の取扱い高世界1位、クロムの取扱い高世界2位、さらに世界のダイヤモンド市場をコントロールする大富豪になります。
そしてロスチャイルド家は、世界の金相場を操る権力を得ました。金(ゴールド)の価格は1日2回、ロンドンにある「N.M.ロスチャイルド&サンズ社」の通称「黄金の間」で行われる現物取引の価格が世界的指標となっていったのです。先ごろ、「ロスチャイルド家が金相場から撤退した」というニュースが流れましたが、真相は定かではありません。
By Master K/益田 慶